10Ksを終えて今思うこと

11月24日私は浮かれていた。学校の友達に「ベストアーティスト見に行ってくるんだ!」って、言いふらし学校を去るくらいに浮かれていた。あんな辛い番協になるなんて思ってもなかったからネ!!!!!!!ハハハハハ!!!!!笑うとこーーーー!!!!(高丸社長)

んま、正直な話でベスアの記憶はありません。田口くんの発表もその後の亀のコメントもロバ丸の表情も、全部会場で見た記憶がないです。メインステージから多少離れた位置ではあったけど、確かに見ていたのになんか赤い服を着ていたなくらいの記憶しかないです。私自身ボロボロ泣くこともできなくて、茫然としていた感じに近いかな、、、隣の友達と支えながら立っていたのは覚えています。やっとCMで座れるって時に私は、クォーターのリングライトを落として割りました。ここで、笑いながら泣きながらキレました(笑)ちなみにリングライトは割れても光ります。友達と私の家に帰ってきて、ちゃんとあの場面を見ようと録画を見てやっと亀の手が震えていることだったりを知りました。やっと現実として起きたことなんだと実感しました。

そこから1週間かつん担の友達に毎日会ったり、ハガキを書いたりしてたら少プレの番協に当たりました。びっくり。でもこの番協が控えめに言っても最高だったので、番協トラウマは多少払拭されたかなって今思ってます。

それから私は人生初の東京ドームでやってるジャニーズのカウントダウンライブで、年越しをしました。これが生で見た最後の4人のKAT-TUNです。

 

 そこからジェットコースターのような日々が過ぎ、10Ks!!!

元々名古屋と東京3daysの予定だったけど、感謝祭の上田くんのマラソン見て大阪に行きたくなって急遽行きました。だから、上田くんのマラソンはこんな端くれの亀担にも響いてたよ~走ってくれてありがとう!と心から感謝してます。人生初の全ステ…怒涛の一カ月でした。

 

私東京ドームでも泣かないかな…なんて思っていたのに、かめのKAT-TUNを好きな自分でいたい。KAT-TUNを好きでいたい。(ニュアンス)という発言に涙が堪えられませんでした。自分自身もある時期、KAT-TUNを好きでいたいともがいていた時期がありました。船は降りてないけど、ちょっと小さい船に乗って他の船に挨拶回りしてたぐらいのことはしてました。(伝われ)そんなことを今では笑い話だななんて思っていたとき、かめの発言でした。かめとファンでは、この発言の重さが全く違うことも分かってます。でも、かめにもそんな時期があったのかと自分と重ねたっていうと変だけど…なんていうか…すごく胸にくるものがありました。うまく言えないけど、そんなことの先に今KAT-TUNが好きだと言えるかめをしっかりと見れてよかったです。

あとかめが6人の名前を言ったとき、過去を愛してしまう自分が許された感覚になりました。ごく出の永遠の新規なんです私。6人は青春だったというか、もう大切な宝箱みたいな。開けたらキラキラ輝く宝物たちみたいな感じなんです。そんな6人をなかったことにも、好きをやめることもできないんです。6人がいたから今がある、6人がいなかったら今にはならない、ずっと分かっていたことなのにしっかりと言葉にしてくれたことが語彙力無さ過ぎて言葉でないけど嬉しかったです。東京ドームに見に来ていたファンにではない、見に来れなかったファンにでもない、ただKAT-TUNというものを背負ったことがある者たちへ向けられたかめの「ありがとう」という言葉をどこかで受け取っていてくれたらいいなと思わずにいられませんでした。

 

KAT-TUNのパフォーマンス、演出、かめのアイドルというものを曲げないところ、上田くんのまっすぐな言葉と目、中丸くんのファンを楽しませる能力、抱き合って泣くシンメ、もうもうたくさんのことが私を純粋にKAT-TUNを好きな自分でよかったと思えたそんなコンサートでした。

次に船が動きだすのはいつかな?もしかしたら、今も個人の力で少しずつ動いているのかな?

とりあえず私が今言えるのは、

KAT-TUNをもう1度見るまで死ねない!!!!